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手塚健旨&高木洋子リサイタル 2007

d0030554_114199.jpg5月25日(金) アートフォーラムあざみ野にて行われた手塚健旨と高木洋子のリサイタルに行ってきました。日本では1年ぶりとなる本格的なリサイタル。昨年とは全く違う新しいプログラムで聴衆を魅了しました。
昨年がそうであったように、今回のコンサートも、4月からスペイン・イタリア・チェコと海外をまわり、その後北海道、東京とコンサートを行ってきたツアーの最終日にあたります。その先々で成功をおさめてきたのでしょう。自信溢れるステージだったと思います。

前半は、作曲家の井上勝仁氏が二人のために編曲したというシューベルトの2曲で始まりました。歌曲として有名な「セレナード」は、手塚も解説したとおり、ギターで作曲されたとのこと。ギターパートは、まるでオリジナルのように自然で、切ない音色はむしろオリジナルよりも曲想をよく伝えているようでした。「楽興の時」は、最も有名な第3番が演奏されました。この2曲はどちらも、ピアノとギターが自由に旋律と伴奏を行き来するだけでなく、井上氏オリジナルの美しいオブリガート(助奏)が特徴的です。
続く日本古謡「さくら」は、目の前で満開の桜吹雪が舞い散るかのような華麗な序奏で始まりました。序奏に続く旋律は、まるで琴の音色を思わせるようなギターが印象に残ります。単純だからこそ音色の美しさが問われる場面で、名器アルカンヘルとその優れた使い手ほど、期待に応えるものはなかったでしょう。単純な旋律から次第に曲がふくらみ、大曲となって姿を表す最後まで、すっかり曲の世界にはまってしまいました。
奏者に後で聞くと、シューベルトの2曲も「さくら」も、どちらのパートにも演奏上困難な箇所が結構あるらしいのですが、聴く側からは想像もつかなかったです。この余裕が、演奏をよりスケールの大きなものにしているのでしょう。

前半最後は、ギターソロで締めくくられました。
アルベニスの「アストゥリアス」は、プログラムには原題(の副題)である「伝説」が載せられています。一般的に「アストゥリアス」という題名で親しまれていますが、本来は組曲『スペインの歌』の第1曲「前奏曲(伝説)」として書かれたものであり、曲は北部のアストゥリアスではなく、むしろ南部アンダルシア地方の民族音楽にインスピレーションを得て書かれたものであることを、奏者自らが舞台から丁寧に解説してくれました。そうした解説の後に聴く演奏は、本当にアンダルシアの風が感じられるようで、また格別です。手塚のタッチは鋭く、風を切るように軽やかでもあれば、重厚な歌も聞かせられるのです。最後に演奏された「ムーアとジプシー」は、昨年のリサイタルでも好評だった1曲です。この日はのりにのった演奏で、冒頭のラスゲアードからキレの良さが抜群でした。速いスケールにトレモロと、ギター演奏の醍醐味を凝縮したような1曲で鮮やかに前半を締めくくりました。

後半は、ピアノソロでスタート。アルベニスの「グラナダ」では、高音部のまろやかな音色で奏でられるアルペジオが、こんこんと湧いてくる泉を連想させます。緑豊かなグラナダが目に浮かぶような透明な演奏です。続く「アラビア風奇想曲」は、ターレガのギター曲の中でも、最も人気のあるもののひとつ。ブルゲス編曲のピアノソロ版が演奏されたのですが、まさかこんなものが存在しているとはビックリでした。曲は、完全にピアノの機能に合わせて編曲され、ギターでは難しい半音階のスケールなども、音を増やした上でスピード感たっぷりに演奏されて、非常に華やか。もしターレガがピアニストだったらこのように書いたのではないかと思わせるような名編曲です。どんな楽器で演奏されても、名曲は名曲なのだな、と感じました。また、ギターで演奏しているだけでは気付かない曲想や魅力に、あらためて気付く良い機会でもありました。ギターとの共演も多い高木は、昨年のリサイタルでも、R.サインス・デ・ラ・マーサのギター曲をピアノで奏するなど、意欲的なプログラムを披露しつづけています。これは、ギターの愛好家にもピアノファンにとっても非常に興味深い取り組みで、ぜひ続けて欲しいと思っています。

プログラムの最後は、リサイタルのタイトルでもあった「アランフェス協奏曲」。2楽章のメロディが有名ですが、この日は全楽章通しての演奏です。1楽章は、さわやかで美しいラスゲアードに始まり、明るい森の風景に小鳥のさえずりが重なりますが、演奏上は早いスケールの連続で緊張感たっぷりです。どんなに速いフレーズでもギターの音の粒がすっきりと聞こえてくるのはさすがです。2楽章のメロディでは、その音の美しさが存分に生かされました。アランフェスを上手に弾くギタリストはたくさんいると思いますが、その一音一音にここまで物語を込められるギタリストは稀ではないでしょうか。古風なリズムの中に超絶技巧をちりばめた第3楽章まで、あっという間に終ってしまって、「もっと聴きつづけたい!」と思ったのは私だけではなかったと思います。

アンコールに応えて、「アルハンブラの思い出」と「エル・ビトー」の2曲が演奏されましたが、最後の挨拶が終わって会場が明るくなっても、まだ名残を惜しむ拍手が聞えていました。平日ということもあり満席とはいきませんでしたが、この日集まったのは熱烈なファンばかりであったことがうかがわれます。そうした温かい雰囲気に包まれた素晴らしいコンサートでした。

今回の演奏会では、今話題のイクリプススピーカーが使われました。音量的には非常に自然なバランスに保たれたセッティングに好感が持てました。また、スピーカーを使用することでピアノの弱音ストレスを軽減し、以前に比べて格段に色彩感の増したピアノパートが印象的でした。このスピーカーの登場が、ギター&ピアノという魅力的なジャンルを育ててくれることと期待します。
(*文中 敬称略)


ギターとピアノの世界 『アランフェス協奏曲』
手塚健旨&高木洋子リサイタル 2007

♪Program

~ギター&ピアノ~
・セレナード/楽興の時 (F.シューベルト~井上勝仁編)
・日本舞曲「さくら」 (井上勝仁)
~ギターソロ~
・伝説 (I.アルベニス)
・ムーアとジプシー (作者不詳)

~ピアノソロ~
・グラナダ (I.アルベニス)
・アラビア風奇想曲 (F.ターレガ~M.ブルゲス編)
~ギター&ピアノ~
・アランフェス協奏曲 (J.ロドリーゴ)

(アンコール)
・アルハンブラの思い出 (F.ターレガ~井上勝仁編)
・エル・ビトー (スペイン民謡)
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by yuko_kodama | 2007-05-30 17:56 | ライブ、コンサートの話

熱狂の日~コンサート

遅ればせながら、私が行った「熱狂の日」音楽祭のコンサートのレポートです。

私が出かけたのは、5月4日19:45開演という、遅い時間のコンサート。演目は、バルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ Sz.110」と、ストラヴィンスキーのバレエ音楽 「結婚」の2曲です。バルトークのほうは曲を知っており、この珍しい編成の曲をぜひ生演奏で、と思ったことから、このコンサートを選びました。ストラヴィンスキーの「結婚」は初めて出会った曲ですが、4台ピアノと打楽器、合唱、4人の独唱という編成でした。

1曲目のバルトーク。曲は知っていたものの、CDで聴くのとは迫力が違います。舞台には2台のピアノが向かい合わせに置かれ、奏者がお互いの目を見ながら呼吸を合わせている様子が、大ホールの2階席まではっきりと伝わってきます。打楽器は、ピアノの後方、舞台中央に置かれ、二人の打楽器奏者が手を伸ばしあって、その時々に必要とされる打楽器をテンポよく分担していく様子が、視覚的にとても面白い。(打楽器というのは、視覚的に最も面白い楽器のひとつだと、私は常々思っています。)頭を空っぽにして、「見て」「感じて」楽しむことが出来た1曲でした。
2曲目を演奏するに当たり、舞台上では新たにセッティングが行われました。舞台隅に置かれていた2台のピアノが加わり、合計4台のピアノが、奏者の顔を客席側に向ける形で舞台中央に並べられました。ピアノの両側には打楽器が配置され、後方に合唱団がスタンバイ。ピアノの前方にソプラノからバスまでの4人の歌手が並び、指揮者が登場。配置も、作曲語法上も、ピアノ4台がオーケストラの代わりに用いられているようです。
曲は、ロシアの農民の結婚式の様子を音楽化したもので、独唱者はそれぞれ、花嫁とその母親、花婿とその父親。合唱団が付き添いや友人などのパートを歌っています。音楽はストラヴィンスキー一流の複雑さですが、この分かりやすいパート構成により、難しさを感じずに楽しめました。それにしても、ピアノ4台というから、どんなに派手になるかと思いきや、意外にピアノの音というのは目立たないもので、驚きました。当然ですが、主役は終始人間の声であり、打楽器の音は華やかですが、ピアノはでしゃばった感じが一切なく、ひたすら陰の盛り上げ役といった印象です。初めての曲でしたが、とても面白く聴きました。
余談ですが、この日、合唱団はなんとTシャツでの登場でした。来日の際の飛行機便で荷物が届かないアクシデントがあったとのこと。晴れの舞台のための衣装が手元にないなんて、本当に不本意だったことでしょう。けれども、開演前のお詫びのアナウンスに客席は、「そんなこと気にしないよ」という温かい拍手で応じ、それに勇気づけられたように、合唱団も素晴らしい演奏を披露してくれました。

無料で配られるプログラムには、この「結婚」の歌詞の日本語訳がきちんと載せられていました。チケット代も安い上に、こうしたサービスも充実しているのですから、演奏者はギャラの面でものすごく協力をしてくださっているのでしょう。一流の演奏家のこうした気概と、素晴らしいプロデューサーの力で、このイベントも毎年成長しているのですね。開始3年で、すでにGWのイベントとして定着した感のある「熱狂の日」音楽祭。また来年が楽しみです。

公式HPはこちら。→http://www.t-i-forum.co.jp/lfj/
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by yuko_kodama | 2007-05-18 18:13 | クラシック音楽の話

「熱狂の日」~マスタークラス

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン~「熱狂の日」音楽祭から、マスタークラスの聴講をレポートします。
この音楽祭では、毎年、世界中から集まった出演者によるマスタークラスが開かれており、有料公演のチケットを提示すれば、魅力的なマスタークラスを無料で聴講することができるのです。専門家や学生だけでなく、多くの一般の音楽ファンも楽しみにしている企画です。今年は、5月4日に、ギタリスト鈴木大介氏によるマスタークラスが予定されていたため、どうせならと、この日に出かけてみることにしました。

ギターのクラスは、朝一番の10時半開始。人出が多いことも予想して開場時間より20分ほど早く到着しましたが、予想に反して、並んでいる人はほぼ皆無。時間が早いせいか出足はイマイチのようです。レッスンを受けるのは、斉藤優貴くん。小学生で、もちろん全受講生中の最年少です。受講曲は、ヴィラ=ロボスの「練習曲第11番」とポンセのメキシコ民謡組曲から「わが心、君ゆえに」の2曲。子供とはいえ、コンクールにも出場を重ねている腕前なので、メカニックも音楽性も大人顔負けです。それでも、作曲家の出身や曲の背景への理解が不足しているとみた大介氏は、ヴィラ=ロボスの曲については、ブラジルについての説明や、その国民性から来ると思われる激しい抑揚が特徴であることなどを分かりやすく説明。また、ポンセの曲については、その表現の核となる恋愛感情について小学生相手に熱弁をふるい、大介氏本人も受講生も、時には会場からも笑い声のあがる楽しさ。最後は、少し余った時間を利用して、斉藤くんがブローウェルの黒いデカメロンから「恋する乙女のハープ」を演奏してくれました。素晴らしい演奏にギター界の可能性を感じさせる、さわやかなマスタークラスとなりました。

ギターのレッスンが終わり、一旦レッスン会場を退室(レッスン聴講は完全入替制です)。少し外を散歩してまわってから戻り、次のピアノのクラスも聴講。受講生は芸大の大学院生の男性です。フランスから毎年参加しているピアニスト、アンヌ・ケフェレック氏に、ドビュッシーの「喜びの島」を受講しました。ケフェレック氏のマスタークラスは一昨年も聴講しましたが、オーケストラの楽器の音色を引き合いに出して、色彩豊かに指導してゆくレッスンは、とても興味深いものでした。というわけで、今回も興味津々。
レッスンはまずケフェレック氏の挨拶で始まりました。「喜びの島」が作曲されたいきさつについて簡単に触れ、「皆さんも一緒に、この喜びの島へ向けて船出をいたしましょう。」という洒落たご挨拶です。しかし、この挨拶の「船出」という一言によって、私には明確に海のイメージが喚起され、続いて演奏された楽曲が波のリズムを模していることが伝わってきたのですから、さすが先生!です。このように、ケフェレック氏は、受講生にも明確で具体的なイメージを伝えながら、曲の表現について丁寧に指導していきます。さらに、題名の「喜び」というフランス語のニュアンスについても細かく解説。原語にあたることで得られる微妙なニュアンスも、曲を表現するには欠かせないことだと感じました。レッスンは、印象派の曲の表現についての普遍的な示唆を多く含み、私のような他楽器の演奏者にとっても、また鑑賞専門の愛好家にとっても、非常に有意義な時間であったと思います。退室時に振り返ると、通路まで立ち見の聴講生でいっぱいでした。

ここで私は昼食休憩。お腹を満たし、付近を散歩し、会場内で様々なグッズを販売するお土産店をまわったり、広場の屋台をひやかしたり・・・。どこも音楽で溢れ、ファンにはたまらない空間になっているのです。

夕方、再びレッスン会場へ。ピアノのクレール・デゼール氏のクラスは、すでに関連イベントのステージでの演奏などもしていらっしゃるプロピアニストの小柄な女性が受講者です。フォーレの「ノクターン」と、ラベルの組曲「クープランの墓に捧げる」より抜粋での演奏。立派なコンサートを聴くような演奏に会場はうっとりです。そのセンスの良い選曲には、デゼール氏も賛辞を送っていました。レッスンは色彩感を増すことを目的に進められ、やはり、各所でオーケストラの音色を引き合いに出しての表現を求められていました。ギターでも、色彩感溢れる演奏というのは、一台のギターから様々な楽器の音色が聞こえてくるように感じるものですね。どんな楽器でも、表現者に求められるものは普遍です。
ピアノのレッスンでは、ピアノを習っていると思われる小さな子供たちも会場に多くいました。目を輝かせ、身を乗り出して演奏を聴いていた子供たちですが、通訳を介しての専門的なレッスンはさすがに難解だったようで、途中退席も目立ちました。子供関連のイベントは多数ありましたが、多くは音楽初心者の子供向けのイベントです。すでに楽器の勉強を始めている子供に向けた、専門的かつ理解しやすいイベントが計画されても良いのでは、と感じました。

この日最後のクラスは、予定されていたヴァイオリンのレッスンではなく、急遽チェロのレッスンになっていました。(手元に変更後の資料が残っていないので、講師名が分からず、申し訳ありません。)受講生は桐朋で勉強中の若い女性で、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」を受講。若々しい溌剌とした伸びやかな音色で聴衆を魅了し、講師に「彼女のような素晴らしい才能のために、来年のマスタークラスはぜひ扉の閉まるホールのステージで」と言わしめました。気さくな講師は、口で伝わりにくい箇所では、自ら受講生の楽器を手にして手本を見せながらレッスン。同じ楽器だけに、「弾き手によってこんなに音色が変わるんだー!」と、私にとっては新鮮な驚きでした。レッスンは次第に、細かいボウイングの指示や音程の注意などの専門的なことへ移ったため、門外漢の私にはちんぷんかんぷんなところもありましたが、素晴らしいチェロの音を間近で浴びることができたひとときはとても楽しく、この日最もわくわくした時間を過ごしました。

こうして朝からマスタークラスを聴講し、この後、夜の有料公演を聴いて帰宅したのですから、本当に丸1日音楽三昧でした。比較してみると、ギターのクラスはやはり聴講生が少なく、内容的にも、プロ並みの受講生が出てきた他のクラスに比べれば、お祭りのイベントといった軽い感じだったことは否めないと思います。ギターの愛好家だけでなく、多くの音楽ファンや他楽器の演奏家をも満足させるくらいのレッスンが、来年以降も継続されれば良いなーと、個人的には思いました。そして逆に、今回のギターのレッスンのように、楽器を勉強している子供たちが一流の演奏家に学べるような機会が、ピアノなど他の楽器でも設けられれば最高だと思います。
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by yuko_kodama | 2007-05-11 19:31 | クラシック音楽の話

「熱狂の日」音楽祭2007

今年も行ってきました、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン~「熱狂の日」音楽祭。

5月4日に出かけ、朝から晩まで1日楽しみました。個人的な印象では、モーツァルト・イヤーということで盛り上がった昨年に比べると、若干落ち着いた雰囲気だったかな、という感じ。当日券のあるコンサートも、朝の時点では結構ありました。昨年は満員で入室できなかったマスタークラスの聴講も、今年は並ばずに着席できたし。ただ、全体のコンサート数も増えたようですし、来場人数としては昨年を上回っているのかな?

今年のテーマは「民族の調べ」。幅広い時代の幅広い作曲家が取り上げられ、バラエティに富んだプログラムでした。私が聴いたのは、バルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」と、4台のピアノに打楽器・合唱・4人の独唱を加えたストラヴィンスキーのバレエ音楽「結婚」という2曲を組み合わせたコンサート。どちらも特殊編成のため、めったに実際の演奏を聴く機会がありません。素晴らしい演奏を生で聴くことができ最高でした。

マスタークラスの聴講も、朝から4クラス。ギター、ピアノ、チェロと、それぞれの楽器のレッスンを楽しく聴きました。

また詳しい感想を書きたいと思います。
来年はシューベルトが取り上げられるとのこと。今から楽しみです。
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by yuko_kodama | 2007-05-08 00:33 | クラシック音楽の話

添付CD~最後に

この話題、けっこう盛り上がっています。

まずこの場でお詫びを申し上げたいのは、この話題を書くにあたり、私自身が制作側や録音の現場について勉強不足であり、無知であったことです。
添付のCDをすべて「資料録音」と表現したことについて、ソルさまより、以下のコメントがありました。

これ残念です。付録CDが単なる「資料」かどうかは、その制作元の考えであり、添付か独立したCDかには依存しないと思うのですが。
弊社の場合、たんなる「資料」ではなく、価値ある演奏を追求しているのですが…。


また、録音の現場については、とみかわ氏のブログ「ギターレッスンと演奏の日記」(録音と実演①~③)に詳しく書かれています。

添付のCDをすべて「資料録音」と表記したことは、ゆきすぎた表現だったかもしれません。付録であっても価値のある演奏を追求する制作元もあり、また制約ある中でも最大限の努力をはらっている演奏家や録音技師がいることを知りました。中にはクオリティの高いものもあり、一概に「おまけ」と切り捨てられるものではないと分かりました。敬意をはらいたいと思います。
(「資料録音」という表現の内容について私が想定していたものは、雑誌付録全般というよりは、学習者向けに譜読みの助けになるよう添付されたと思われるCDだったのですが・・・一概にはいえないようですね。)

ただ、ここで述べたいことの本質は、学習者が、手にとった楽譜に添付されたCDを聴くことで、それが目指すべき「完成されたお手本」だと勘違いしてしまうこと、そして、耳からの情報に偏りすぎて楽譜を読むことをおろそかにしてしまうことです。
録音・実演を合わせ、たくさんの演奏を聴き、それとともに、しっかり楽譜を読むことも大切にしてほしいと思っています。
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by yuko_kodama | 2007-05-08 00:26 | ギター音楽の話

<補足>添付CDの功罪について

先日の文章に対して、コメントが色々とついています。ここでそれらをまとめると同時に、私個人の考えを補足したいと思います。

まず添付CDというのは「資料」であって、「音楽的価値」を求めるものではないという見解でコメントはほぼ一致しています。(ということで、以下、「添付CD」のことは「資料録音」と記します。)
実際に録音のお仕事も多いとみかわ氏のコメントを引用します。

原則として、録音と実演はまったく別感覚で演奏するのが、プロの仕事。
お手本演奏は、全ての音をクリアーに・・・が目標。実演(コンサート)などで使うピアニッシモやルバートは原則としてご法度の世界。


つまり、楽譜にある「ドレミ」をギターで弾いたらこうなるぞ、という資料ですね。例えてみます。
有名な「禁じられた遊び」。実際に演奏する場合には、1弦で奏でる「シ・・シ・・シ・・シ・・ラ・・ソ・・」というメロディ部分をはっきりと、それ以外の中間音「・シソ・シソ」(2弦・3弦の解放弦の音)は、場合によってはごく弱く奏でられます。資料用の演奏では、しかし、この「・シソ・シソ」がはっきり聞こえなくてはいけません。ある程度メロディを優先しながらも、「シシソシシソ」と聞こえる録音になるでしょう。こうして全ての音がはっきりと録音されることによって、学習者は、楽譜にある全ての音がどんな高さの音であるかを知ることができます。(*この例えは、実際の資料録音を聞いて書いたものではなく、あくまでも誇張して分かりやすく例えたものです。)

次に、一連のコメントをまとめてくださったギター初心者さんのコメント。

添付CDと、生演奏や普通のCDとは制作目的が違うんですね。
前者は自分がまともに弾けているかを知るためのツールとして有効で
特に練習曲で技術的な完成を目指す時に役立つということですね。


制作目的が異なるという点については、まさにそのとおりだと思います。続く部分について、私個人の考えを以下に補足します。

「まともに弾けているか」=楽譜どおりの正しい音(音質ではなく、音価やドレミについて)で弾いているか、だと考えます。楽譜を読むのが苦手な人、または楽譜に書いてある「ドレミ」と実音とがリンクしない人は、間違った音を弾いていることに気付かない場合が往々にしてあります。臨時記号の見落としなども多いです。確かに、資料録音はこれをチェックできる便利なツールです。
こうした「チェック機能」はもちろん、大切なのは、「ああ、この楽譜に書いてある音楽はこういう曲なんだ!」という概要を知ること、そして、楽譜を見ながら聞くことで、「楽譜に書かれたこのシの音は、ギターで弾くと1弦の7フレットで出せる音なんだな」という、楽譜とギターの実音をリンクさせることだと思います。

ここで考えたいのは、資料録音が、特に練習曲や技術的な問題に偏ったことではなく、どんな曲に対しても「読譜の助けになる」という普遍的な価値をもつということです。逆に言えば、特に練習曲において目標とされる技術の獲得や理想とされるテンポは、資料録音から得られるものではなく、個人の習熟度に左右されるべきものだと私は考えます。同じ練習曲を、何度も繰り返し学習するのはそのためです。例えば、アルペジオを多用する練習曲があるとして、「アルペジオという奏法を初めて勉強する」生徒と、「素早くなめらかなアルペジオ奏法を実現する」ことを目標にする生徒が、同じ曲に対して存在しても不思議はないのです。この場合、どちらも資料演奏と比べて「まともに演奏できているか」を判断することは出来ません。
さらに、練習曲というと「技術的な問題」がクローズアップされますが、私は必ずしもそうとは思いません。練習曲から音楽表現を学ぶこともできますし、逆に、練習曲以外の曲から学ぶ技術も多くあります。以上のように考えると、資料録音が特に練習曲において役に立つということではないように思うのです。

長々しく書いたわりには、かなり分かりにくい内容になってしまった気がします。とにかく、資料録音は「楽譜にある音は、耳で聞くとこの音だ」ということを示すものであり、それが価値のほとんどすべてではないかと、私は考えています。そして、その意義を理解して使えば、「功」のみが大きく「罪」はなくなるでしょう。
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by yuko_kodama | 2007-05-01 15:02 | ギター音楽の話