人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山下和仁 ギターリサイタル

2006年2月16日(金) トッパンホールにて行われた「山下和仁ギターリサイタル ~楽興の時」へ行ってきました。

タイトルどおり、当夜のプログラムのメインは、後半に演奏されるシューベルトの「楽興の時」全曲です。
前半、まずはバッハのコラールで始まりました。長大な「マタイ受難曲」からの1曲。演奏者自身による編曲は響きも大変美しく、また古楽器をイメージしたようなスル・タスト(指板上で)の音色も曲とマッチしていました。音色を求めた分、音量は小さめにまとまり、ヤマシタ的な、大胆で圧倒的な演奏とはちょっと異なる幕開け。フルコースの前に少しだけ頂く食前酒のような1曲だったのかもしれません。
続く「アランブラの想い出」とテデスコの「プラテロ」は、私にとっては印象の薄い演奏となってしまいました。もちろん、個々を取り上げれば、アランブラでのトレモロの切れも素晴らしいし、うねるような情感もある。「プラテロ」では、一音一音に、それに見合った音色を与えられる“ひきだし”の多さを実感。けれど、1曲づつ演奏したのでは、あまりにも尻切れトンボな印象になってしまいます。うまいけれど、「それだけ」という感じがしてしまう。やはり、この夜、演奏者の意識はこの後に演奏する藤家作品、そしてヴェスコボの組曲へと向いていたのでしょう。
その、藤家作品。さすがに手の内に入った演奏。多彩な音色が、現代的な和声を求めながらも、どこか懐かしく美しい旋律のある藤家の作品を彩ります。
「アメイジング・グレイス」「グリーンスリーヴス」と2曲の編曲作品も演奏されました。単純なメロディに隠されていますが、この編曲作品の演奏は、かなりの技巧を要求されているように見えました。そういう意味では、山下の技巧を熟知する藤家ならではの編曲であったかもしれません。演奏は素晴らしいものでしたが、私は編曲ものよりも、ギターオリジナルの作品のほうが好きでした。
前半最後は、ヴェスコボ作曲の組曲「山にて」。山下一家と家族ぐるみの付き合いがあるヴェスコボ氏が、故郷イタリア中央部の山に山下一家を伴って登山したときの印象を曲にしたものだと、解説にありました。全体的に神秘的で荘厳な雰囲気の、大変美しく魅力的な曲でした。終曲の「幻想曲のように」では、後半に派手で技巧的な山場を作り、山下への献呈を意識した作曲のようでした。ここでは、「山下」というブランドイメージどおりの、あの圧倒的な演奏を満喫。しかし、組曲全体の雰囲気としては、この部分だけがちょっと特異であったとは思います。

前半だけでもこれだけ盛りだくさんでしたが、今夜は本当のフルコース。後半には、ヴェスコボが編曲した、シューベルトの「楽興の時」が全曲演奏されました。
「楽興の時」は、シューベルトのピアノ・ソナタで、全部で6曲から成る大作です。ピアノ・ソナタをギターに編曲するというだけでも難しいと思いますが、それを演奏するのはまた至難の技です。全曲をギターに編曲する意味があるのか、と考えると「?」という気持ちなのですが、それはそれ。演奏は、山下らしさが溢れる素晴らしいものでした。技術的な破綻がないのはもちろんですが、深いタッチから生まれる音色がエネルギッシュでいいです。あれだけの難曲を弾きながら、決してタッチが軽くならず、迫力ある音色が生み出されるのは彼ならでは。表面的にはキレイに響かせながらも、タッチが軽くて面白みに欠けるギタリストも多いので、このような演奏に接する機会は貴重だと思います。客席全体を見渡して、心なしか年齢層が高い気がした当夜。若い聴衆には、こうした演奏は受けないのかな?少し残念です。

19時開演のコンサートでしたが、アンコールが終わる頃には21時をまわっていました。デザートも、藤家&ヴェスコボという一夜。すべて聴いて、おなかいっぱい、大満足となりました。

「山下和仁ギターリサイタル~楽興の時」
2006年2月16日(金) トッパンホール

♪program
・コラール~マタイ受難曲 BWV244 (J.S.バッハ~山下和仁編曲)
・アランブラの想い出 (F.タレガ)
・「プラテーロとわたし」より <プラテーロ> (C=テデスコ)
・「3つの詩」より <家> (藤家渓子)
・燈火節 (藤家渓子)
・アメイジング・グレイス (スコットランド民謡~藤家渓子編曲)
・グリーンスリーヴス (イングランド民謡~藤家渓子編曲)
・組曲「山にて」 (ガネッシュ・デル・ヴェスコボ)
前奏曲/神秘/舞曲のように/魔法/幻想曲のように
・楽興の時 Op.94 (F.シューベルト~ヴェスコボ編曲)
by yuko_kodama | 2006-02-21 01:00 | ライブ、コンサートの話
<< ハビエル・ガルシア・モレーノ ... トリノ オリンピック開幕~フィ... >>